『もう一人のある男の存在』 同じ事を考えていた男がもう1人いた。『左高孝太朗氏』である…。 彼も自宅で詩を書く他、機関誌を企画・編集・発行するなど精力的な自己表現活動を 続けていた。 そんな二人が時同じくして、ある現代彫刻家にこの提案を持ちかける。 この彫刻家は、彼たちの良き理解者でもあり中学時代の担任でもある 「土屋明之氏」であった。 しかし、その二人の提案への返事はなかった…。 それから1年後、土屋氏から連絡がある。 土屋氏が所属している「岐阜県芸術文化会議青年部企画の美術展」に 二人の共同作品を出展してみないか…と言うもの。 これが“表現集団 発心夢体・遊 -You-”結成のきっかけとなる…。 |