エピローグ 『なぜトンネルはトンネルなのだろうか… 〜トンネルにふいた一陣の風…。〜


 
←( BACK・バー  −なぜトンネルは
     通り抜けるためだけに存在しているのだろうか…。−

 ……ある日、私がトンネルを走り抜ける車の中で思った事です。

 −トンネルの中で
          たたずんでもいいのではないだろうか…。−

そこで私は、芸術文化の視点から新しくできる橋やトンネルへ、何かしらのアプローチが出来ないか…と仲間たちに相談を持ち掛けました。
今回“トンネル”という新たに生まれてくる場所で、何かを表現しここに思いを通す事で、新たな時代を私達の手で切り開き、歩み始めて行けるのではないか…という気持ち。そして、民間主導でこのような開通イベントを実施すると言う事は全国でも珍しく、我がふるさと岐阜が、そう言う新たな取り組みが出来る街として活性化し、文字通りこのトンネルを通じて全国に風が吹けば…
…という強い思いが、この企画を立ち上げたのです。

しかし、「平成金華山夢図大絵巻ヒストリー」でお伝えした通り、その企画の大きさに私達が暗いトンネルに迷い込み一時は互いの思いさえも見えず、ただ立ち尽くすばかりの日々も続きました。それは本当の思いが伝わらないと言うジレンマと、伝える力のなさに自分自身に腹立たしささえ感じずにはいられない時期でもありました。そう言う中で幾度となく繰り返された仲間との意思統一。同日に行われようとしている自治会主催「鵜飼い大橋の開通イベント」との調整。当初予定されてなかった岐阜市への「仮設多目的トイレ(車いす者使用可能)」の設置要請。その一つ一つの取り組み。我々の企画に協力してくれようとしている方々。そして厳しいお言葉を投げかけて頂いた方の存在。すべての関わりが、人と人とのつながりがこの日、鵜飼い大橋と井ノ口トンネルと共に“心の開通イベント”として、形になった気がします。

とかく人間は人生を道に準えるばかりか、不調に陥ると「トンネルに入った・トンネルに入った」といいます。そのトンネルの中で、私達は、もがき・苦しみ、そこから脱出する事だけを考え遠く先にある1点の灯り(出口)に心奪われ、自分自身さえも見失っていくばかり…。果たして遠く先にあるあの1点の灯りの下だけに求めるものは存在するのだろうか。
うす暗いトンネルの中だからこそ、自ら心を灯し、目を凝らして自分自身を見つめる事でそれまで見えなかった大切なものが見つけられるのではないで
しょうか…。

『なぜトンネルは通り抜けるだけのために存在しているのか…。』
…という“素朴な疑問”から始まったこの企画。
この企画を通し、私達を含め、多くの人たちが、あの日のトンネルの中で…、自分自身のトンネルの中で何かを見つける事が出来たら、ふたたび
“さわやかな風”に出会えるかも知れません…。

最後になりましたが、一緒に“トンネルにふく風”となって頂いたみなさんに
岐阜県芸術文化会議・青年部ならびに
表現集団 発心夢体・遊 -You-を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました…。
                         表現集団 発心夢体・遊 -You-
                         岐阜県芸術文化会議・青年部
                                
曽我部 弘 樹
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